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フランス絵本 プティトラン

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Robert Doisneau

 


終戦記念日の昨夜。

私が、ぼんやりと眺めていたのは、

フランスの写真家、ロベール・ドアノーの写真集。


ドアノーといえば、パリ市庁舎の前でのキス、や、

こどもたちの様子などの写真が有名ですが、

戦争の写真も数多く残しています。

従軍写真家として戦地に赴いていた時期があったからです。





ロベール・ドアノーは1912年、パリ郊外のジャンティイで生まれました。

今、生きていたら107歳ですね。


配管工だった彼の父親は、彼が4歳のときに戦死。

母親も7歳の時に亡くなりました。

その後、叔母にひきとられ、

13歳から工芸学校で彫版印刷と石版印刷を学び、

石版印刷工の資格を取りました。

また、この学校で、スケッチと静物画の授業に出ました。

これが、ドアノーとアートとの出会いだと言います。



ドアノーは16歳になったころから写真を撮り始めました。

しかし、シャイな性格のため、

当初は外に出ても人物にカメラを向けることができずにいたそうです。


そんなシャイな青年ドアノーも、広告デザイン会社に職を得て、

カメラマンとしての道を歩み始めました。

1934年。

ドアノーは、ルノーの自動車工場に就職して、工業広告カメラマンとして働き始めました。

ここでドアノーは、「人間」に関わる仕事への興味を深めました。


「写真家としてのキャリアのスタートであり青春時代の終わり」、

と、のちに、ドアノーが語っているように、

大きな転換点となった経験でした。


ところが、その仕事も遅刻が多いという理由で解雇されてしまいます。

工場内の記録写真においてさえも、そのプリントの出来栄えにこだわるあまり、

納得いくまでプリント作業をしていたためだそうです。


その後は、広告や彫版印刷の仕事をしたり、

絵はがきの写真を撮ったりしてなんとか生計を立てていました。

 

1939年、パリの写真エージェンシーであるラフォに雇われ、

フランス中を旅行して撮影しました。


第二次世界大戦が勃発すると、兵士兼カメラマンとして徴兵されます。


この時期に撮られた写真も多く残されています。

私は通常は、人々の愛情あふれる日々をきりとった写真を鑑賞することが多いのですが、

昨夜はやはり、戦争の写真が心に迫ってきました。

戦争が日常の日々は、いったい、どんな毎日なんでしょうか。


さて、ドアノーは、結核のため除隊した後もレジスタンス活動に参加。

印刷やレタリングの技術を活かして、

ユダヤ人を助けるためにパスポートや身分証明書の偽造を行ったそうです。



戦後はフリーカメラマンとして「ライフ」などの雑誌に写真を発表しましたが、

ラフォ・エージェンシーに戻り、その後、生涯、そこに所属しました。


1948年。

ファッション写真家としてヴォーグ誌と契約。

ヴォーグ側では斬新で気取らない感じのファッション写真を期待していましたが、

エレガントなスタジオでファッショナブルな女性を撮影することにどうしても馴染めませんでした。

ストリート写真を撮影するほうが、彼は好きだったのですね。

スタジオを抜け出してはパリの街を撮影しました。

パリの通りやカフェで見られる、

さまざまな階級の人々の何気ない「普通の生活」をドアノーは撮影しました。

人々の生活を、ユーモアやほろ苦さを込めて魅力的に表現したものです。


また、遊んでいる子どもたちの撮影もライフワークのひとつでした。

遊びに興じているこどもたちの姿を、

同じ目線にたって、敬意をこめてシャッターをおした、

ドアノーの姿が目に浮かびます。

それはそれは素敵な作品が多く残されていますね。


 

1950年。

ドアノーの写真として、もっとも有名な写真をライフ誌に発表します。


パリ市庁舎


「パリ市庁舎前のキス」と呼ばれるこの作品は、

パリの若い恋人たちのシンボルとなりました。

今、現在でも、ドアノーの、いえ、パリを写し取った一番有名な写真家もしれませんね。


このカップルが誰なのかは1992年まで謎のままでした。

パリに住むラヴェーニュ夫妻は

自分たちがこの写真のカップルだと思い込んできました。

1980年代に、ドアノーと会って昼食をともにしましたが、

彼は「ふたりの夢を壊したくない」と真相を語りませんでした。


このため夫妻は、なんと「無許可で写真を撮影した」としてドアノーを告訴。

裁判所はドアノーに事実を明らかにするよう要求したのです。


写真のカップルは実は、フランソワとジャックという若い俳優の卵でした。

ふたりは恋人同士で、街角でキスをしているところをドアノーが見つけて近づき、

もう一度キスしてくれるよう頼んで撮影したのです。

偶然の一枚ではなく、演出された一枚でした。


しかし、フランソワとジャックの関係は9か月しか続きませんでした。

ジャックは俳優の夢を諦めてワイン職人の道を進み、

フランソワ・ボネは女優として活動を続けました。

ドアノーは結局、ラヴェーニュ夫妻の裁判に勝利しました。

しかし今度は、女優になったフランソワがドアノーを相手取り、

肖像権料を要求して裁判を起こしたのです。

しかし、撮影から数日後に、

ドアノーが写真をプリントしてサインとスタンプを入れ、

その写真を撮影の謝礼としてフランソワに贈っていたことが判明したため、

提訴は受理されませんでした。


2005年。

フランソワはその写真をオークションに出品し、

大変な高額で落札されました。


アシスタントを務めていた長女のアネットは次のように話しています。

「裁判には勝ちました。でも父はひどくショックを受けました。

裁判の過程で偽りと嘘に満ちた世界を見てしまったから。

そのことが父を傷つけたのです。

あの写真は父の晩年を台無しにしてしまいました。

それに加えて母の病気。

父は悲しみのために死んだといっても過言ではないでしょう」

(長年連れそった妻のあとを追うようにドアノーは亡くなったそうです)。


あの有名な写真、幸福感に満ち満ちた写真には、

こんな悲しいエピソードがついてきてしまっていたのですね・・・・・。


ともあれ、ドアノーの写真は、

後世を生きるわたしたちを魅了せずにはいられません。



それは、ドアノーが、

戦時中であれ、そうでない時であれ、

「人間」に関心をよせ、「人間」とその「生活」を映し続けてきたからでしょうね。

それが、たとえ、「人間の心の弱さ」だとしても。




激動の時代を生き抜いた写真家の写真集を眺めながら、

コーヒーを飲み、音楽を楽しむ。

そんな贅沢に感謝する終戦記念日の夜でした。





日常生活のなかで起きる小さな奇跡はほんとうに刺激的です。

道端で繰り広げられる予想もつかない出来事は、

どんな映画監督でも思いつきません。


(ロベール・ドアノー)





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